「実在とは何か」量子力学と哲学

「実在とは何か」アダム・ベッカー

量子力学の歴史について書かれた本を読みました。
同じような立場で書かれているものとしては、「量子力学の奥深くに隠されているもの」ショーン・キャロルがありまして、こちらの方が理論的背景には詳しいです(偏った主張な気はしますが)。

さて、簡単に量子の不思議を私なりにまとめますと、

1.観測するまでは波の性質を持つが、観測した瞬間に粒になる(位置や運動量が決まる)
2.もつれている2つの量子を遠くに離した状態で、一方を観測すると、もう一方の状態も決まる

1は二重スリット実験が有名で、二本のスリットに向けてたくさんの電子を放つと、その後ろのスクリーンには干渉縞が現れるため、電子は波の性質を持つことが分かるのですが、電子がどちらのスリットを抜けたのか観測した瞬間に、干渉縞は消えてスクリーンには2本の線として現れる、つまり粒になる、というものです。

2は強い相関のある2つの量子は、観測の結果、1方が例えば「上向きスピン」ならば、もう片方は「下向きスピン」に必ずなるのですが、観測するまでは、その1方が「上向き」か「下向き」かは分からないにも関わらず、観測した瞬間に、遠く離したもう一方の量子に影響を及ぼす、というものです。

これらの不思議な現象はなぜ発生するのか、その原理とは何なのか、について、科学者の哲学的な立場によって主張が変わる、というのが興味深いところです。

長年主流、といいますか、今も主流だと思われる「コペンハーゲン解釈」では、私の勝手な解釈では、

「原理はどうでもよくて、使えるならそれでいい」

不思議は不思議として、結果的に量子のふるまいを正確に予測できるならツールとしては十分、という考え方な気がします。私もどちらかというと、実用に資するなら理論的背景は深追いしなくてもいいかな、というエンジニア的な立ち位置です。このあたりは、乱暴に書くと

・工学部(現場、泥臭い)
・理工学部(理論、薫り高い)

の違い、でしょうか。私は工学部でした。

話をもとに戻します。
「コペンハーゲン解釈」では、観測結果が実在で、知覚できるものだけが存在している、という考えに近いものがあります。
一方で、今のところ観測はできませんが、世界は何かのルール(数式)に従って動いていて、そのルールが実在だとする考えもあります。

量子力学の不思議なふるまいを説明できるルールの例として、観測した瞬間に粒子に見える理由は観測機器との干渉によるもので、その結果ものすごいスピードで宇宙が分離して多世界になるとする説があり(一方の世界からは分離したもう一方の世界を見ることができないので証明はできないが)、この本や冒頭紹介した本はその立場をとっています。

しかしながら、どの説を採用しても、量子のふるまいは同じように説明できるわけで、何せ、今のところ証明のしようがないので、どの説も哲学だというわけです。

ただ、アインシュタインの相対性理論も、哲学的に理論構築した結果、その数式は重力波の存在を予測するもので、のちに観測機器が高度化したことによって重力波の存在が証明されたように、哲学はいずれ科学になるんですね。

なので、単純には荒唐無稽に聞こえる各説も、いずれ科学が進歩することで明らかになっていくんでしょう。